アースデイ東京を「プロライフ」に Earth Day Tokyo will be Pro-Life



1970年4月22日にアメリカで大々的に「Earth Day」という名の環境イベントが実施されたことから、その日の前後に同じアースデイという名前を冠して世界各地で環境イベントがおこなわれるようになった。地球のことを考え、行動する「地球の日」である。日本でも2001年から本格的に「アースデイ東京」がスタートしている。


はじめはアメリカの物真似から始まったものかもしれない。2000年にワシントンD.C.で開かれたアースデイに感動したという坂本龍一が、翌年日本でもアースデイが始まることに関心をもち、わざわざ会場の代々木公園まで足を運んでくれるというサプライズもあった。しかし、20年近くの時を経て、世の中にアースデイの名が浸透するとともに、アメリカで起こったアースデイと日本の現地アースデイとのあいだの”ズレ”が顕著になっているのではないかと思う。

そもそも日本のアースデイは、オリジナルのアースデイとコンセプトを共有できていたわけではなかっただろう。当初、日本でこのイベントを開催しようとした人たちも、たんじゅんにアースデイ〜地球の日という響きに反応しただけだったのではないか。いや、最初から日本は日本のアースデイだったのかもしれない。地球環境にたいする意識も感性も、日本人はアメリカの活動家たちと同じではない。まったくちがうかもしれない。

日本は日本のアースデイでいい ー 2001年の代々木公園でのアースデイを2日間ともにした坂本龍一も、最後にたしかそんな感想を口にしていた。むしろ今は、知名度も市民権も確立できたところで、もっと日本の色を際立せたアースデイ東京になっていいのではないかと思う。アースデイ東京という共同体として、アメリカ発のアースデイとは異なる独自の主張を世界に向けて発信できるのではないかと思う。


1970年のアースデイをオーガナイズし、現在も世界のアースデイ・ネットワークをリードする「アースデイの創始者」H氏にメールでインタビューしたことがある。2005年、「愛・地球博」のゲストとして来日することになったH氏に、アースデイの歴史や理念、地球環境の未来についてコメントを求めたのだ。氏はこちらの問いかけに、ひとつひとつ丁寧に答えてくれた。インタビューの内容は、地球博の広報のために発行されたフリーペーパーで記事になっている。

だが記事にはならなかったが、個人的な興味から「追伸」として発した問いにも、氏は厭わずにレスポンスをくれた。とはいえ、H氏も意表をつかれたにちがいないだろう。まるでとうとつに、「ヨハネ・パウロ2世についてどう思うか?」と問いかけてみたのだ。

「空飛ぶ聖座」の異名で知られた第264代ローマ教皇が亡くなった直後だった。当時まだカトリック教会のことはよく知らなかったが、その訃報に世界中の若者たちが涙したり、危篤が伝えられた段階で「パパ様がたいへんなときにサッカーどころではない」とイタリアのプロサッカーリーグ「セリエA」が全試合を中止にするなど、普通の日本人には想像もつかない社会現象をひき起こしたヨハネ・パウロ2世という人物のことがとても気になっていた。これだけ世界に影響を与えた偉人なのだから、きっとアースデイとも無関係ではないのではないかと思うところもあった。驚いたことに、H氏からは、記事にした他の問いに対する答えより、もっと多くのボリュームが割かれた答えが返ってきた。アースデイの創始者にヨハネ・パウロ2世についてたずねることは決して的外れではないどころか、はからずもアースデイの核心に触れる呼び水となったのだ。


H氏の丁寧なレスポンスは、まずは世界平和に尽力したヨハネ・パウロ2世を讃えることばから始まった。しかしそれが社交辞令だったことがすぐに明らかになるほど、そこから一転して、故人に対する厳しい批判が展開することになる。H氏は、前ローマ教皇が人口増加の問題に何ら理解を示さなかったこと、具体的にはコンドームの使用を認めなかったことを容赦なく非難するのだった。

地球上の人口増加に歯止めがかからない責任の一端をヨハネ・パウロ2世に帰する一方で、H氏は、極論すればと断ったうえで、増え続ける人口によって地球環境が破壊し尽くされる前に、中国の「一人っ子政策」を今後は他国も見習うべきであると持論を述べるのだった。西洋発のエコロジー運動は、おうおうにして「人口削減イデオロギー」によって駆動されることを知ってはいたが、なるほどアースデイも同じだったのである。

しかも、1970年当時、H氏はスタンフォード大学の院生だったのだが、現在も各方面に大きな影響力をもつ同大学のポール・エーリック教授が著した『人口爆弾〜Population Bomb』が大ベストセラーとなって世界を揺るがせていた頃である。H氏がエーリックのもとで、生粋の人口削減イデオロギーを身にまとっていたことは疑えない。産まれてくる子どもは地球環境の敵であるという刷り込みが、『人口爆弾』に肩入れするマスメディアをとおして世界的に一気におこなわれたのがアースデイ誕生前夜のことである。

H氏の刺激的な持論は、それがまさにアースデイのコンセプトであるがゆえにフリーペーパーに記事として載せてもよかったのだが、しかしそれでは日本の読者はアースデイに対して好感を抱かないだろうと広告屋的な配慮をした結果、彼の人口論に関するコメントは割愛することにした(14年前の裏話を、今ここではじめて打ち明ける次第である)。


20世紀の日本は、西洋が押し付ける人口削減イデオロギーの悲惨な犠牲者である。戦後世界における初の妊娠中絶の合法化と、1974年の日本人口会議で打ち出された事実上の「二人っ子政策」は、世界の歴史上例をみない今日の人口減社会を決定的なものにした。しかしそんな歴史的事実を知らなくても、自分の感覚を頼りにアースデイ東京に集まってくる日本の若者たちのなかで、人口削減イデオロギーに共鳴する者は少ないだろう。産まれてくる子どものいのちが地球環境と調和しないなどという発想はアジアの日本人には馴染まないだろう。

西洋人であれ日本人であれ、エコロジーに親しむひとたちにとって、地球とは「母なる地球」である。しかしアースデイ東京を支持する若者にとって、その母なるイメージとは、子どもが多いのは困ると産児制限を実践する近代的な女性像ではなく、子だくさんを喜びとする慈しみあふれる母なる大地のお母さんにちがいない。ヨハネ・パウロ2世は、どんなに人口が増えようと地球環境がそれに耐えられないはずはないと確信をもっていた。母の愛が無限であるように、すべての子どもを受け入れられるように地球は創られている、とヨハネ・パウロ2世は考えたであろう。母なる地球のイメージを、アースデイ東京はきっとヨハネ・パウロ2世と共有できるにちがいない。

またヨハネ・パウロ2世が、コンドームなどの人工的な避妊法を受け入れなかったのは、それが男女の愛の営みを裏切る行為であると認識していたからである。コンドームでもピルでもなく、ヨハネ・パウロ2世がカップルにすすめたのは、自然な受胎調節法とされるビリングス・メソッドである。女性の分泌物の質の違いによって生理の周期を把握する方法で、排卵日を特定することで妊娠を避けることも逆に妊娠に至ることもほぼ100%の成功率を可能にする。アースデイ東京に集まる若者なら、石油製品のコンドームや”不自然な”生理を強いるピルよりも、”自然な”性生活に導くビリングス・メソッドのほうに関心が向かうのは当然ではないか。


H氏のオリジナルのアースデイは、Pro-Choiceである。世界のグローバリゼーションの流れと同じ価値観のうえに立つ。地球環境を守るために妊娠中絶は必要であり、人口削減イデオロギーに反対するPro-Lifeは地球環境の敵であると考える。尊重されるべきLifeは、人間の手が及ばないWild Lifeであって、人のいのちではない。Pro-Choice(プロチョイス)。それが本家アースデイのコンセプトである。ところがアースデイ東京は、その分家ではない。支局でもなく、たんなるフォロワーでもない。同じアースデイの名を冠していても、日本という土壌と日本人の感性に育まれて、独自の意志と視点をもてるようになっている。少なくともChoice、すなわち権利が優先されるという西洋個人主義の汚染は免れている。環境保護という名目のために人のいのちを切り捨てる無慈悲な合理主義とは無縁である。

現時点でそこまで明確になっているわけではないが、H氏の主張よりもH氏が否定するヨハネ・パウロ2世のほうに共鳴できてしまうだろうアースデイ東京なのである。潜在的にじゅうぶんPro-Life(プロライフ)であるにちがいない。むしろ、はっきりそう自覚すればいい。オリジナルのアースデイとは異なる、Life(人のいのち)を基調とする価値観を明示することができれば、アースデイ東京は世界に向けて重要な発信ができる存在となれる。世界の他のどんな機関にも真似のできないユニークな社会的圧力(ソーシャルプレッシャー)になれる。

アースデイの一ヶ月前の3月21日は世界ダウン症の日である。すべてのダウン症の人たちと共生する社会をめざすことは、H氏のアースデイにとってはまったく与り知らぬところだが、今のアースデイ東京にとっては当然あってしかるべき一つのアジェンダになるだろう。世界ダウン症の日をアピールするCM映像がある。ダウン症をもつ子どもを迎え入れる喜びが素直に伝わる名作である。長年広告業界に身を置いてきたが、これほど純粋に感動を呼ぶCMを他に知らない。

たとえば、このCMのプロモートをアースデイ東京が協力することになったとしても何ら不思議はないだろう。きっとたくさんの「いいね!」をあつめるだろう。内部から反対の声があがることはまず考えられない。その反対に、フランス政府がこのCMを放送禁止にしたという事実を知れば驚きの声があがるだろう。「合法的にダウン症の子どもを中絶した人の良心を害するおそれがある」という理由がまかりとおる社会に違和感と失望を禁じ得ないだろう。フランス政府の冷酷な決定について、H氏のアースデイは容認するしかないだろうが、アースデイ東京は黙っている必要はないのである。自らの使命としてフランス政府に対して正式に抗議の声をあげることができるだろうし、またそうすべきではないかと思う。


ニューヨーク州が妊娠全期間における中絶を合法とした。ほぼすべての日本人にとって理解不能な”進歩”という名の暴挙であるが、先進国のあいだではこれが容認されるどころか、ただちにニューヨーク州が成し遂げた”Choiceの拡張”に追随する流れがつくられようとしている。妊娠全期間をさらにすすめて、産まれた直後の生きた子どもの中絶(合法的な嬰児殺し)までも視野に入ってこようとしている。それこそがグローバリゼーションの正体なのだ。残念ながらH氏オリジナルのアースデイもその一味である。

では、アースデイ東京はこれにどう応えるだろう。嬰児殺しがグローバルスタンダードになる未来を黙って受け入れられるだろうか。地球のために考え、行動することが本来のアースデイの主旨であるなら、その主旨にもとづいてアースデイ東京は、人のいのちを損なうことは地球のためにならないと考える。アースデイ東京に集まる日本人の価値観に照らせば、まったく地球のためにならないニューヨーク州の”偉業”を見過ごすことはできないだろう。たとえば東京都にたいし、ニューヨーク州がこの法律の見直しをおこなわない限り姉妹都市関係を解消するよう求める訴えを起こす自由と裁量がアースデイ東京にはあるのだ、ということは念頭に置いておくべきだろう。

H氏のアースデイ周辺で最近起こっているムーブメントとして、地球温暖化対策に国が本腰を入れるまで子どもは産まないと訴える「バースストライキ」なるものがある。たくさんの子どもの手を引いて代々木公園にあつまるアースデイ東京の家族たちは、そんな”進歩的”なつもりのアメリカ女子たちを、やんわり「おばかさん」とたしめてあげるのがいいだろう。



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